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日本の住宅も粗製濫造の時代を経て、生活レベルの向上と共に見ちがえるように進化してきました。見掛けや、快適性、住宅設備など、昔と比べると素晴らしく良くなっています。住宅展示場で見る住宅は、憧れを抱かせるに十分であり、ほとんどの消費者が感嘆こそすれ、不満や疑問を抱いていないのではないでしょうか。しかし日本と欧米先進諸国の住宅を比較すると、話は全く違ってきます。同じ対価を払ったその内容が余りにもかけ離れていることや、その中身である品質が極めて貧しいことなど、その差は歴然としているからです。広さではなく、「住宅の本質」ともいえるところで差が生じています。むしろ、日本の戦前の家や田舎の農家にその共通性を見出すことができます。これまで「ウサギ小屋」と揶揄された日本の住宅は、その狭さが強調されましたが、その実、住宅そのものの品質に問題があったといえます。しかし一番の問題は、今の日本の消費者がそのことを全然認識していないことでしょう。 1999年に亡くなった有名な日本の住宅建築家の第一人者、宮脇檀氏は、「私達が建てている住宅は、結果的に極めてチャチなバラック」と自著などで厳しく指摘していますし、またドイツの住宅専門家ミッターマイヤー氏の「日本に住宅産業はない。あるのは“仮設住宅産業”だけ」と辛らつな一言を言わしめているのも、現代の日本の住宅実態をよく表しているといえます。 何故そんなに品質に差があるのか。原因は単純明快です。長持ちさせるために作られる家と、壊すことを前提に作られる短命な家との差といえます。50年100年もつのは当たり前とされる北米の住宅は、その値打ちを減価させずに資産価値を保持・向上させ、世代を超えた優良資産として、長持ちさせることを前提に作られ、維持管理されています。住宅そのものが優良な社会資本として位置付けられています。一方、スクラップ・アンド・ビルドの言葉通り、壊すことを前提に作られ、僅か30年弱で壊してしまう日本の住宅は、GDP(国内総生産)を押し上げるための消耗品であり、消費財と扱われています。そのため作られたその時、売られるその時さえ綺麗であれ(見映えが良けれ)ばいいという作り方をされています。「今」売れる家づくりであり、決して将来中古になっても売れる家づくりではありません。しかもこれまでの日本の住宅は「使い捨て住宅」の様相を呈しており、すこぶるメンテナンスのしにくい家(注:1)になっています。おのずから作り方も材料も違って当たり前であり、結果的にその品質に大きな差が出てしまうのは当然のことといえます。 極端な表現になりますが、イメージ的に言えば、日本の住宅は見掛けばかりの「映画のセット」のようであり、よく言われるように「はりぼての住宅」といえます。ちょうど、仮設であり、実際はコンクリート等躯体も無く、単にボードの上に綺麗にビニールクロスでお化粧した、マンションのモデルルームがイメージされます。 何故このようなことになってしまったのか、先の宮脇檀氏も嘆いた戦後の住宅政策の貧困さに遠因があるといえます。建築基準法に謳われている「最低の基準」を満たしただけの住宅、減価償却費の計算に用いられる木造住宅の耐用年数を26年(現在は22年)と定めたこと(注:2)、原材料を極限まで少なくしたハウスメーカーのプレハブ住宅(注:3)、見端だけを本物に似せたはりぼての新建材(注:4)、法律はあるのに、信じられないくらいの欠陥住宅を放置させた、無いに等しい検査体制(注:5)などが原因といえます。 戦前の日本では、その多くがしっかりした技術と、無垢材や自然素材を使った、長持ちのする、壊さない家を作ってきましたが、戦後の住宅は消耗品・消費財としての家づくりをしました。 シリーズ1で「同じ『家』なのに、しかも大変高額なのに・・無価値に・・」と北米と日本の住宅を「同じ」と表現しましたが、厳密に言うと同じでは無く、似て非なるものと言わざるを得ません。 そこで、日本の住宅と北米の住宅(ベクター仕様)の性能と品質の特筆すべき差を、表にして具体的に比較しました。 |
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