|
|
 |
|
|
| |
ペラペラの安普請「仮設住宅」が日本中に溢れた原因の一つに、建築基準法と税制があります。 そもそも「建築基準法は、戦後のバラック禁止法なんです」と建築専門家は嘆きます。終戦直後、焦土と化した日本の主要都市に、雨後の竹の子のように乱立するバラック建築を、なんとか規制しようと制定されたのが「建築基準法」(昭和25年―1950年)といわれています。その第一条(目的)にも明確に謳われているのは、「この法律は建築物の敷地、構造、設備及び用途に関する最低の基準を定めて・・・」であり、バラックを防止するために、最低の基準をもうけたのがうかがわれます。問題は、戦後そのような理由で制定された法律が、数度の大改正はあったものの、この法律の基本的な考え方が変わらずに、現在に至ってしまったことだといえます。(注:1) しかも木造建築の「法定耐用年数」を26年(現在は22年)と定め、税制上の償却期間とされました。(注:2) 『この間「なんとか住めればよろしい」、それ以降は“無価値”なのです。これは戦後政府が「二十六年以上、長寿の家をつくる必要はない」と宣言したに等しい。業者がすぐに壊れるペラペラの安普請づくりに没頭したのも、当然ではありませんか。』(《プロも知らない「新築」のコワサ教えます》築地書館より抜粋)がいうように、市場原理として当然の成り行きであり、以降の歴史が証明しています。欧米先進国と比較し極端に短い住宅寿命、壊しては建て壊しては建て、が当たり前の住宅事情が生まれました。言い換えると、GDP(国内総生産)を押し上げる、国と企業が潤うシステムと言えます。 戦時焼失住宅は210万戸、住宅量の不足は深刻でした。海外からの引揚者、軍人復員による増加を含めると、420万戸の住宅が不足し、「家よこせ運動」がおこりました。(注:3)同時に、産業を復興させるために、都市に人を集めることが必要であり、その時から都市への人口集中が急速に始まり都市に於いて大量の住宅を必要としていました。 一方、敗戦国が立ち直るための産業復興は、時の通産省を中心に「日本株式会社」と世界から揶揄されるほど、なりふりかまわず企業をバックアップする、経済最優先政策推で推し進めました。その政策は企業を優先し、消費者・労働者を二次的に扱うものでした(結果的に経済は奇蹟とも言える発展を遂げましたが)。そのような中、日本住宅公団はじめ、次々とハウスメーカーの設立がはかられました。(注:4) 「建築基準法・税制で短命住宅に道筋をつける」「住宅が圧倒的に不足している」「国が企業をバックアップ」このような条件が揃うこととなり、戦後から粗製濫造の短命住宅が一気に氾濫することとなりました。一番の目的は住宅不足の解消であり、住宅の品質ではありませんでしたので、最低基準の、しかも僅か20数年さえもてばいい低品質の住宅を大量供給することのなりました。 安普請の短命住宅がスタンダードとなり定着、見掛けは美しく変化してきても、基本的な考え方や中身は変わらずに現在に至っているといえます。 企業優先、消費者軽視が戦後から現在に至るまで日本の体質として残ってしまったことが、「顔の見えない日本人」と世界から揶揄される現状と、現在の住宅の貧困を生んでしまったといえます。(注:5) |
| |
| |
|